サイコセラピーとわたし

サイコセラピーと聞いて、皆さんはどんなイメージを持ちますか? サイコセラピーの日本語訳は「心理療法」なので、うつ病や様々な心の病を治すような印象を持たれるかもしれません。わたしは”psychotherapy”という単語すら知らなかった状態でした(笑)。

わたしは 6年間かけて、ニュージーランドのAuckland University of TechnologyAUT)の大学院で、Graduate Diploma in Psychotherapy Studies Master of Psychotherapyを学び、セラピストになる訓練を受けました。

それは、「自分である」とはどういうことなのかを探求する、未知の大航海のようでした。わたしの人生を根底から揺さぶりました。というのも、心理療法と呼ばれる実践の真価は、心の病をいやし解決するだけではなかったのです。

サイコセラピーの訓練を通して、わたしは、自分に自信がなかったのが、生まれて初めて、「ありのままの自分であることが嬉しい!」と、喜びから生きる自分へと変わっていったのです。ありのままの自分を受け入れ、愛するようになると、人間関係も、人生も、驚くほど、良い方向に変わり始めました。

自分の大変化を経験して、「サイコセラピーの実践が、心の病だけなんてもったいない! 自分を成長させ、人の役に立てる自分になるためのライフスキルとして、より多くの人に届けたい!」と、本気で思いました。

現在、わたしが経験した困難や学び、自分自身を生きる喜びを、ブログなどでシェアしています。これまでに対面カウンセリングの他に、一般向けの心理学セミナー、文化の違いを学ぶセミナー、留学生へのコミュニケーションスキルのワークショップなどの啓発活動も行っています。

目の前の問題はではない

わたしがサイコセラピーの訓練をして一番びっくりしたこと それは、自分の中にこんなに押し殺していた感情があったのかということでした。

自分でも気づかないうちに感情や記憶を押し殺して、そのことが、心の重荷や、感情の起伏、体の痛みなどの症状、人間関係の問題、楽しみを感じられない、などの問題を引き起こしています。

心理学では、今の目の前の悩みは、「本当の自分を押し殺しているよ」「今までの生き方には無理があるよ」という、ご自身の深い部分からのメッセージと見ます。今の悩みは、忌み嫌うではなく、生きたい人生を妨げる、心のブロックのありかを教えてくれている味方なのです。こじれた悩みをひも解く実践が、サイコセラピーといえるでしょう。

心の奥底にあった本当の気持ちを知る

中国のことわざに、「魚は水を知らない」とあります。わたしたちは、自分にとって一番身近なことを、実は一番分かっていないことが多いものです。

わたしにとっては、日本の文化的な価値観や親の信念が、どのように自分に影響を与えていたか、サイコセラピーを実践する中で、徐々に分かっていきました。日本人として、また女手一つで育ててくれた、働き者の母の娘として、「努力することが尊い」「努力すれば幸せになれる」という信念を、わたしは持っていました。

でも、この価値観が、自分を差別し制限していたのです。「努力することが尊い」「努力しないと幸せになれない」「ありのままの自分は価値がない」というふうにです。サイコセラピーの訓練を受けるまで、こんな無意識の信念が自分を抑えつけていたなどとは、まったく気がつきませんでした。

サイコセラピーは、今ここの自分自身を、差別せず、まるごと受け入れることから始まります。自分が否定し続けてきた部分や、いやで切り捨てたいと思っている感情と戦うのをやめ、まずはありのまま存在を認める。今自分が感じていることを素直に認めると、その自己受容は自身のさらなる深みへと導きます。

サイコセラピーで自分を掘り下げて見えてきたこと それは、「ありのままの自分であることが怖い」という衝撃的な真実でした。文化と言葉が違うニュージーランドでは、わたしは思うように自分を表現できない。人が言っていることもすべては分からない。わたしは16年前にニュージーランドに来て、自分とは違う文化や言葉に触れる中で、越えられないどうしようもないを感じ、自分の力不足を痛感していました。

「人と違う」ということが、自分の劣等感になっていきました。自分はこの国ではどうでもいい存在のように感じて、心の底では、本当はすごく辛かったのです。でも、サイコセラピーをやる前までは、この心の痛みに気づかないふりをしていたと思います。実際の生活では、楽しいこともたくさんあるので、痛みをごまかして生きていたんですね。

自分を受け入れた瞬間

サイコセラピーで、自分自身の心の真実に、愛情と敬意を持って接することを学んだおかげで、自分を深く知ることができました。それまで自分を縛っていた、周りの価値観や社会的な正しさ、「こうあるべき」という理想の姿に従うのをやめて、自分にとって本音で大切なことを、徹底的に掘り下げていきました。

そのプロセスは、劣等感やみじめな自分と、真正面から向き合う作業でもありました。それまでは、英語が全部分からないことを、無意識ですが必死に隠そうとしていたのです。

自分をよく見せようとしていたことが、訓練中、露呈される事件が起こってしまったのです。クライアントが英語で言ってることが、時々分からないことが、先生にバレてしまったのです。

万事休す。もう隠せない!
自分に限界があるみじめさや、分かったフリをしてきた自分への情けなさで、身を切られる思いでした。

そんな中、瞑想をしている時に、心の中で人生の師匠の声が聞こえました。「胸をはりなさい!聖子は、そのままで素晴らしいよ。」

師匠の言葉に号泣しました。もう隠さない。自分のすべてをひっくるめて、ありのままの自分を生きるんだ。腹を決めた瞬間でした。

崖っぷちで、「自分を生きる」ことにたどりついたわたし。ここから、思いもよらない大変化が起こったのです。違いを違いとして認め、自分の限界やできない自分を、まるごと受け入れたら、人生そのものが根底から激変!

人との心の距離が、グンと深く、近くなったのです!わたしの心には、自分を生きる喜びが、泉のように溢れ出しました。心がスッと軽くなり、毎日心が弾むのです。

自分を閉じ込めて苦しむ人を見たら、ありのままの自分を生きる喜びを伝えました。今度は周りの人が、自分を生きる感激を味わい始めたのです。喜びの渦は、どんどん周りを巻き込んで、広がっていきました。この喜びの共鳴を目の当たりにしたとき、心が震えるほど、感動しました。

より大きな幸せのために悩みを活かす

サイコセラピーの訓練で、「自分であること」を一歩深く掘り下げることで、これまで経験したいろんな出来事が、どのような意味を持ち、どう生きたい人生を創ることにつながっていくのかが、明確になりました。無駄に思えた時間も、苦しみでしかなかった経験も、すべてが活かされていくのです。

わたしにとってサイコセラピーは、本来の自分らしさを解き放ち、育むプロセスです。それは、自分を好きになり、一生ぶれない自信を培うことにつながります。現実の変化は、自分自身の心の変化の結果として起こることなのです。

皆が本来の自分を生きて、自分色で輝く姿を喜び合う世界を、縁する方々と一緒につくっていきたい。それがわたしが一生かけて実現したい夢です。