Seikoの体験&活動

わたしの“命のスイッチ”が入った瞬間

こんばんは、Seikoです。

連日、読んでくださり、ありがとうございます!

ここまでの話は、

頑張っているのに
気づけば“いつもの状態”に
戻ってしまうのは

頑張るほどに、
自分を小さくしてしまうから。

“自分を小さくする”
というのは
どういうことかというと

本当の気持ちよりも
外のものに動かされている
状態のことです。

たとえば、

・嫌なのに「嫌だ」と言えない

・周りの人がどう思うかばかり気になる

・怒られないように
好かれるように行動する

・本当は違うと思っているのに
合わせてしまう

・本当はやりたいことがあるのに
失敗や反対を怖れてやめてしまう

本当に感じていることがあるのに
いろんな理由から
自分で自分を止めてしまう。

こういうとき、人は
不安や怖れに
押されて動いています。

つまり、

「どう思われるか」
「どうなるか」という
外側の基準で
自分を決めてしまっている状態です。

その結果、

本来の自分よりも、
小さく縮こまった自分で
生きることになります。

それに対して、

「本来の自分でいる」というのは、

自分の中に起きている感情に、
ひとつひとつ
気づいていくことです。

たとえば、

「今ちょっと悲しいな」
「これは嫌だな」
「これ、やってみたいな」

そんなふうに、
自分の感覚や感情を
ちゃんと感じること。

そして、

そこを出発点にして

「じゃあ自分はどうしたいだろう」
と考えること。

つまり、

人の目や評価ではなく、
自分の感覚や気持ちが
基準になっている状態です。

なかなか現状が変わらないのは
自分を小さくしている状態が
クセになっているからです。

では

いつもの“同じ状態”から抜け出し
人生が自然と動くには
どうしたらいいのか。

それには

自分の状態(エネルギー)が
ガラリと変わる経験が必要です。

人生は、努力ではなく
状態(エネルギー)の転換で動き出す。

それは、
心も体も、
命そのものがいきいきと目を覚まし

内側からエネルギーが
湧き上がってくるような転換。

そんな話をしました。

今日は、

私のエネルギーの転換が
起きたときのことを
シェアしますね。

それは、去年、出会った
Oshoのダイナミック瞑想
というものでした。

静かに内観する瞑想ではなく
体を使うアクティブな瞑想です。

最初は、呼吸から始まり、
続いて、音楽に合わせて、
ただ体を動かすパートがありました。

何も考えない。

上手にやろうともしない。

ただ、音に身を委ねて動く。

最初はぎこちなかった。

でも、

だんだん気持ちよくなってきた。

体が勝手に動き始める。

腕が伸びる。

背中が開く。

気づいたら、
体の動きが全方位に広がっていた。

自分のエネルギーが、
まっすぐ遠くまで
届いていく強い感覚。

「ああ、こんなに広がれるんだ」

そして、
声を出し始めた。

その瞬間――
体がすごい反応したんです!

内側から何かが押し上げてきた。

思わず出た言葉。

「うわー…体の中に、
こんなにエネルギーが
たまってたんだ。」

溜め込んでいたものが、
一気に動き出した感じ。

そして、

体を動かすパートの後に、
瞑想のパートが始まった。

さっきまで激しく動いていた体。

息は、
少しはあはあいっている。

汗もかいている。

全身がジンジンしている。

でも、だんだん落ち着いてきた。

そして、

自分の呼吸の音が、
体中に響き始めた。

吸う。
吐く。

その音が、
全身に広がっていく。

そのとき、はっきり思った。

「今、私は呼吸をしている。」

やがて、
心臓の音が力強く聞こえてきた。

ドクン。
ドクン。

静寂の中で、
自分の鼓動が
体全身に振動する。

その瞬間、
涙が噴き出した。

「いつぶりだろう…
自分の鼓動を、
こんなふうに鮮明に感じるのは」

ああ、わたしは
生かされているんだった…

ずっと気づかなかった。

あまりにも余裕がなくて。

ずっと忘れてた。

この感覚を…

生かされていることへの感謝と、

忘れていたことへの
「ごめんね」が込み上げてきた。

慟哭した。

3年ぶりに、
私は、自分を強烈に感じた。

そして最後のパート。

音楽に合わせて、
自分を祝う時間。

体を動かしながら、
イメージがふっと湧いてきた。

私は、
みんなを自分の腕に抱き入れて、
光に戻して、
宇宙へ送り返している。

みんなが光になって、
キラキラしている。
喜びがあふれている。

そのとき、
心の奥から湧いた言葉。

「ああ、この使命を生きられて、
本当に嬉しい。ありがとう。」

ダイナミック瞑想は、

私の中にある生命力と
ハイヤーセルフの自分を
呼び覚ましてくれました。

出産前は、
こういう感動が
日常の中にありました。

自分とつながる喜びが、
わたしの生きるエネルギーの
源泉でした。

でも出産してから、
それを感じられなくなっていたんです。

今までの自分を失ったみたいで
本当に悲しかった。

でも違った。
なくなっていなかった。
眠っていただけだった。

“いつもと同じ”から
抜け出せないとき、

人はたいてい
頭の中でぐるぐる
考えている状態になっています。

ずっと思考してても
人生は、動かない。

それに対して、
Oshoのダイナミック瞑想は

それこそ身体をダイナミックに
刺激することで

“いつもと同じ”パターンを
崩すんですね。

そして、

身体は本能と
結びついているので

自分の中で眠っていた自分
自分が知らない本質の自分と

出会うことが
できるのだと思いました。

これが
わたしの“命のスイッチ”が
入った体験です。

話はここで終わらなくて、
驚いたのはその後。

現実は何も変わらない。
息子は怒鳴る。
パートナーは疲れている。
生活は相変わらず慌ただしい。

でも―

私は消えなかった。

空気が荒れても、
緊張が走っても、
自分が跡形もなく
持っていかれるあの感覚が来ない。

揺れることはある。
疲れることもある。

でも、
根こそぎ消えない。
そこに、私がいる。

それだけじゃない。

家族がストレスフルなとき
それを受け止めながら

家族ひとりひとりと
話すだけの
心の余裕があるんです!

心の通い合う循環が
またそこから始まる。

わたしが
わたしでいれると

周りの人も、一緒に
自然と良くなっていくんですね。

これはセルフコンパッションの実践で
確信していることでしたが
改めて、強く実感しました。

でも、正直に言います。

この瞑想を1回やっただけで
すべてが完全に
変わったわけではありません。

最初は、
自分の感覚を鮮明に感じる
という感じでした。

でも、
続けていくうちに、
そのエネルギーの通り道が
少しずつ太くなっていった。

やるたびに、
自分の中の生命力が
目を覚ましていく。

やるたびに、
自分では気づかなかった
無意識の重荷を解放して
“本来の自分”が蘇生する。

そして気づいたときには、

ベースの状態が
変わっていたんですね。

無理に保たなくても、
自然に自分がそこにいる。

いつでも、どこでも
自分でいられる。

生命力が覚醒する実践は、
気分を良くする話じゃない。

ポジティブになる話でもない。

現実が急に優しくなる話でもない。

現実はそのままでも
本来の自分が
確かに、脈動している。

“命のスイッチ”が入るということ。

つまり

心も体も、
命そのものが
いきいきと目を覚まし

内側からエネルギーが
湧き上がってくるような転換。

人はもともと
生命力を持っています。

でも
自分が小さくなっていたり
内側がきゅーきゅーとしているときは

その力は眠ったまま。

それを外すと、
本来の自分が動き始めます。

本来の自分が目を覚ますと、
人生は自然に流れ始めます。

本来の自分で生きることは、
人生を動かす
いちばん根っこの力。

次回は、

なぜ、努力しても変われなかった人が
“戻らない変化”に入れるのか?

ただ瞑想を
実践していただけではないんですね~

ヒミツは他にもあるんです。

その話をしますね!